2014年9月19日金曜日

伊貞玉 その①

てきとーな慰安婦検証 伊貞玉①



吉田清治の虚言を朝日は訂正した。しかし慰安婦の問題で吉田証言に乗っかり伊貞玉は何を語ったのか。このネタを書くいきさつは9月12日の記事を読んで下さい。
トンデモ本として面白いのでてきとーに見てみよう。▲以下が私の戯言です。

朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」 

伊貞玉(ユン・ジョンオク) 他 金英姫、山下英愛、金富子、朴和美、梁澄子

これは1990年韓国のハンギョレ新聞に4回にわたって掲載された筆者の中間報告「挺身隊(怨念の足跡)取材記」を補完するものである。ハンギョレ新聞は日本でいうと朝日新聞みたいなものだろうか?それとも赤旗?人権・平等などをかくれ蓑に反国家の思想で活動しているのであろうか。ハンギョレ新聞の発行部数は少ない。1988年似創刊された中道左派の新聞で反共イデオロギーからの脱却、進歩志向であるとのことが意義だということ、漢字を使わずハングルだけを使っているのが売りらしく、発行部数は28万1千部(2009年のデータ)となっている。しかし日本の新聞社と同じく押し紙などの発行部数を水増ししているので実数はもう少し低いと思われる。因みに朝鮮日報は184万4千。そして2009年の韓国の人口は約4900万人だから韓国人の0.5%の人がハンギョレの購読者ということになる。この新聞の社会に与える影響力がどれだけのものなのか?ベトナム戦争のライタイハンの記事を書いたのもこの新聞である。話を戻して創刊から2年後の1990年にどれだけの人が「挺身隊(怨念の足跡)取材記」を読んだのだろう。人口の0.5%よりさらに少なかったと思われるが、当時韓国では大きな反響を呼んだという。そして伊が後に韓国社会や日本に及ぼした影響は計り知れないものがある。

伊貞玉が設立に関わった「韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)」という団体は北朝鮮との繋がりがあり、韓国の公安からマークされている存在であると日本人は頭に入れておかなければならない。女性の人権向上の為に活動している善意の団体ではないのだ。挺対協の尹美香代表の夫である金三石とその妹金銀周は、日本で北朝鮮工作員と接触した容疑で、1993年にスパイ事件で逮捕された。

さて、前置きはこれくらいにして肝心の本の中身である。うそ、嘘、ウソのオンパレード。反日根性丸出しのトンデモ本である。日本には八百万の神がいるが朝鮮半島には八百万の嘘があると分かる本ではなかろうか。そもそもきちんと取材をしたのなら挺身隊が慰安婦ではないことが明白であろうというのに、あえて挺身隊と混同させているのは意味はなんだろうか。彼女は、韓国で挺身隊といえば慰安婦のことを指すのだから挺身隊は慰安婦であると結論付けている(滅茶苦茶ですね)。

そして吉田清治を例えに出して日本を批判している著者は「私はこの証言について何の裏付けもとってない」という告白をしているようなもので、そのワードは著作によって真実を語ろうとしているのか否かの判断が出来るリトマス試験紙となっている。であるからしてこの本は信用するに足りないのだが、慰安婦問題は吉田清治が全てではないので次に内容を見ていく。

■著者のことば

1925年抗日運動家の一家に生まれる。1943年12月梨花女子専門学校一年生のとき、日帝が朝鮮半島の各地で未婚の女性たちを挺身隊に引っ張っていくという恐ろしいことが頻繁に起こるようになって、国家総動員令に応じるという書面に捺印させられた。そのような恐ろしいことが繰り返されないよう歴史を整理しなければならない。なぜ、どのように、どれほど連行し何をしたのか責任の所在を明らかにしたならば、今日のように基地周辺や観光地で外貨獲得のために外国人を相手に働く韓国の売春女性はこれほど多くなかったのではないか。この記録は 一九八〇年一二月、一九八八年二月と八月、そして一九八九年七月の四回にわたって北海道、沖縄、タイ、パプアニューギニア、つまり挺身隊の血と涙の跡をたどり、現地の資料や関係者の証言を集めて構成したものである。

ここに全部もう結論でとるやん。抗日、挺身隊、国家総動員令、売春社会。最後お前の希望やろ!w( ̄∇ ̄;) と突っ込まずにはいられない。朝鮮人の行動をみているとその国家総動員令を利用する形で売春斡旋業や人攫いの類が暗躍したのであろうと容易に推察できるがあくまで推察です。


この本は伊貞玉の「挺身隊取材日記」と「明日をともに創るために」金英姫、山下英愛、金富子、朴和美、梁澄子の二部に分かれている。

伊の書いたパートは以下の項目から成る

[前編]
北海道
沖縄
タイ、ハッチャイ
パプア・ニューギニア
[後編]
盧成愚さんの場合
姜徳景さんの場合
金仁順さんの場合
松代慰安所を訪ねて
ハワイ捕虜収容所名簿調査[全羅南道霊光郡編]
ハワイ捕虜収容所名簿調査[慶尚南道聞慶・慶山郡編]
長島愛生園訪問
平和を築くために


北海道

小見出しに「資料の隠蔽」

慰安婦問題はなぜこのように等閑視されているのだろうか?第一の理由は、挺身隊に駆り出された女性たちのほとんどが庶民の出身で、なおかつ女性であるために、男性中心の社会から無視されたのではないかと思う。もう一つの重要な理由は、日本が自ら犯した罪が暴露されることを恐れて、持っていた資料を廃棄したこと。さらに当時、山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治さんを除き、挺身隊の連行に関係した日本の元官吏たちが絶対に口を開かないからであろう。 <丶`∀´>


吉田清治以外に具体的な証拠もあげず資料が隠蔽されたと決め付けている。隠蔽されていないはずの韓国の証拠は何故慰安婦の証言だけなのか考えたことは無いのだろう。▲

日本は開国後、資本蓄積のために手段と方法を選ばなかった。江戸時代から始まった北海道開拓、日露戦争の勝利で得た沿海州地方の木材伐採、沿岸漁業、当時のエネルギー源であった石炭の採掘などに日本人の労働力だけでまかなえなくなると、1910年に朝鮮を「併合」し、中国侵略と太平洋戦争をひき起こし、朝鮮人労働者の入国を制限した1899年の勅令を廃止して、強制連行を強化した。

『自治研さっぽろ』(札幌市職自治研推進委員会・在日外国人と自治体研究会・国際都市札幌を考える会編)と北海道開拓受難者調査委員会の樫田精司氏、焼肉店「新生食堂」の主人、キム・ダルソン氏、同じく焼肉店「南大門」の女主人李鍾恵氏、歴史教育者協議会の松前サークルの出版物、小学校教諭浅利政俊氏の資料を参考にすると、北海道に連れて行かれた朝鮮人女性の実態はおよそ次のようなものであった。
女性たちは「おなか一杯食べられてお金も稼げる」という日本人の言葉を信じてついて行った。(中略)紡績工場の女工になった人たちもいる。しかし女工になった人たちの中には、そこでの地獄のような生活から逃げ出すために、あるいはだまされて、売春窟に足を踏み入れることになった。浅利さんが提供してくれた『函館新聞』『函館日日新聞』などのよれば、一九二○年代に大阪の紡績工場で働いていた朝鮮人女性が函館に来たという記録がある。一九二一年に函館にいた朝鮮人数は女性が六人、男性が一〇〇人で、朝鮮料理屋が一軒あった。

朝鮮人女性たちは、"周旋屋"にだまされてここまで来ることになった。周旋屋は彼女たちをしばらく自分の家に住まわせて他の働き口を探せないように外部と遮断した。そしてたくさん食べさせ市内見物をさせたあと、大金と引きかえに彼女たちを遊郭に売り飛ばしたという。このころ大阪や北海道に行った女性ほとんどが十五歳から二十歳ほどであった。売春を強要された女性たちはそこから抜け出す道がないわかると死を選んだ。一人で死ぬ者もいれば、集団で死んだ者もいる。

彼女たちが死に場所に選んだのは、自殺の名所となっている立待岬の絶壁である。函館YWCAの紹介で私を案内してくれた池田晴男さんとともに、細い坂道を登ってたどり着いた絶壁は険しく荒々しかった。(中略)池田さんはこの絶壁に砕ける波の音が、村の人々には「オモニー、オモニー」という叫び声のように聞こえるのだと教えてくれた。

浅利さんが見せてくれた一九二三年十二月十八日付『函館新聞』には「哀れな朝鮮美人死ぬ、十七歳」という記事が載っていた。ここで死んだ朝鮮人女性に関する記事はとても多かった。なかには「日本人の虐待に耐えられず抗議した女性が服まではぎとられて通りにほうり出された」という記事もあった。
一九三十五年六月二十日付の『函館日日新聞』には「午前二時頃、髪を振り乱した半裸の女性が通りを徘徊しているところを巡査が発見」というものもあった。李芳手(二○歳)というこの女性は、「鄭徳寿」という料理店にいたが、ろくに食事も与えられず、病気になっても薬も飲ませてもらえず、ついに精神錯乱をおこしたということだった。


東アジアや朝鮮半島の情勢、また自分達のそれまでの歴史を全く語ることなくいきなり朝鮮併合だけをピックアップし、それが労働力補充の為だったのだと断言(新説ですねw)労働力をまかなうためにわざわざ「併合」したにもかかわらず、戦争を引き起こしただなんてよくもまぁこんな短い文章で論理破綻するものです。「日本が」と語る前に朝鮮半島の辿ってきた歴史はどうだったのかは少しも考察されない。自分の目線でどのような道筋で併合されたのかと言う視点が全くゼロ。そりゃそうですよね被害者だから。一方的にもたらされた完全なる被害者だから。プロパダンガだから。

うちの母親は朝鮮人も一緒の地域に住んでいた貧しい部落の出身で、集団就職で都会に出て紡績工場で働いていました。毎日辛かったと、幼かった私は何度か聞かされました。母の場合は一九四〇年代の話ですけど、戦時下だった頃は更にきつかったんでしょうね。徴用で工場から朝鮮人の子が逃げ出したのは日本の責任なのでしょうか?日本人も朝鮮人も皆仕事は同じで辛かったのですよ。朝鮮人だけに辛い仕事を割り当てたりはしていないのですよ。辛い環境から逃げ出して売春窟に?売春は辛くない職業だったの?曖昧なことばかり書いてあるのよね。浅利氏の資料には函館に来た女性が六人とある。内一人は紡績工場から北海道に。売春窟に入ったと書くが具体的にその六人が売春をしていたのか、のちに慰安婦として働いたのかは全く何も書かれていない。ただ朝鮮人女性が大阪から函館に来た記録があるとだけ。

周旋屋が朝鮮人女性を連行してきたわけやね。周旋屋はわざわざ韓国まで渡って連れて来たんでしょうか?彼女らはどうやって日本にきたのだろうか?日本にだまされたと書いてあるが、騙されたとある限りは国家総動員令による徴用では無かったはず。そして女性を騙した悪いはずのその周旋屋はお金を払ってある書いてある。しかも大金。その大金は一体誰の手に渡ったのですかね?ここがある意味一番重要な点なんですけど。何故書かないんですかね? 当時の新聞記事などを見ると大体朝鮮の業者ですね。そこではなかったのなら親か親族でしょ当然。自分の主張に不利になる事実は伏せておく。お金に困った親が子供売って大金を受け取っていたんでしょ。人攫いみたいなことを朝鮮人自身がしていたんでしょ?当時の国の情勢考えると日本より相当貧しかった朝鮮人たち。当時の女性達には売春による大きな収入が一家や親族を養うただ一つの手段だった。慰安婦の話で重要な点は、慰安婦が挺身隊ではないこと、女性自らの意思で売春業に就業していた事実、親・親族に売られた事実、朝鮮人の売春斡旋業(連れ去り)などの話がスッポリと抜け落ちているんですよね。どの本も。

そして売春が嫌で自殺をした者が大勢いると。立待岬では自殺者が大勢いたから絶壁に波が当たると「オモニー、オモニー」と聞こえてしまう程日本人(by池田晴男)はノイローゼになってしまったんやね。悲惨な話や。3つの話に番号を振ってみる。
①『函館新聞』の「哀れな朝鮮美人死ぬ、十七歳」
②「日本人の虐待に耐えられず抗議した女性が服まではぎとられて通りにほうり出された」
③一九三十五年六月二十日付の『函館日日新聞』には「午前二時頃、髪を振り乱した半裸の女性が通りを徘徊しているところを巡査が発見」 
大勢の自殺者がいたというのだが②と③は実は同じ記事なのです。②の話には発生した年月日は入ってなく、「日本人の虐待に耐えられず~云々」とだけ書いてあり、③は年月日が明記されており②の「女性が服まではぎとられて通りにほうり出された」の文章を使わず「午前二時頃、髪を振り乱した半裸の女性が通りを徘徊しているところを巡査が発見」と違う文面ををわざわざ出しているのです。「~という記事もあった」という言葉を二度使って沢山の記事があるよう読者に印象付けようとしたわけ。これは別に私が資料を探して突き止めたんじゃなく、章の最後にある(注)に出展やら資料やらの解説あるじゃないですか、それに書いてあっただけなんです(笑)本を出す際に気が付かないというのがすごいですね。
ここ(多分函館だろう)で死んだ朝鮮人女性に関する記事はとても多かったらしいとの話、朝鮮女性関する確実な記事は一件だけしかありませんでした。そして②③の「通りにほうり出された人物」は果たして亡くなったのであろうか?集団で死んだ者もいる。と書いておきながらその証拠は提示できていないのである。こんな雑な書き方あるだろうか?伊貞玉の文章は終始こんな感じで書かれています。軽くネットで調べてみたけれど立待岬の自殺や集団自殺の話は見つからなかった。一体真実はどうなんだろうか?

最後につまらん疑問をもう一つ、鄭徳寿なる「朝鮮料理屋」は日本人が経営してたのだろうか?「日本人の虐待に耐えられず」と書かれているからには鄭徳寿は日本人経営じゃないと辻褄が合わないが。全てが曖昧なのである。▲

一九四一年、日本は太平洋戦争を引き起こし、朝鮮の若い男女を前よりも一層連行し始めた。こうした中で、北海道ではたくさんの女性が自殺し、新聞もこの事実を報道した。しかし当局は一九四三年に朝鮮人女性の自殺を記事にしてはならないという禁止令を出した。

「札幌での朝鮮料理店の変化」を見ると、一九二〇年代初めから朝鮮人労働者相手の慰安婦を置く朝鮮料理店が開店したという。また日本人女性に実施されていた公娼制度を朝鮮人女性には適用せず、登録もさていなかったと記されている。売春を強要された朝鮮人女性たちが劣悪な公娼にも及ばない扱いを受けていたことを示している。

朝鮮人女性たちは日本人男性に歓迎されたらしい。一九三五年一月二七日付の『北海タイムス』には「青年層を蝕む朝鮮女、断固、撲滅を図る、札幌署の強硬な態度」という記事が載っている。当局は朝鮮人女性たちがなぜここに来て働いているのかを問うことなく、監視を強めていったのである。


最後なんかは支離滅裂ですね。日本人に歓迎されていたとしながら、すぐ次に日本人は朝鮮女撲滅を図ったと書いている。朝鮮人女性が公娼扱いされなかったのを非難していますけど、適用したらしたで日本の売春制度に組み込まれたとか書くんだろう。

結論としては、北海道には売春婦がいたがその人数は不明で実態も不明。実際の売春婦の聞き取り調査などは全く行われていない。軍の慰安婦の話も何も無い。

次回は沖縄編

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